1945年4月1日
嘉一の父 彦次郎乗船の緑十字船(連合軍から安全航行の保証を与えられていた船)阿波丸(日本郵船所有)はシンガポールから日本へ帰国途上台湾海峡にてアメリカ軍潜水艦クイーンフィッシュの魚雷により撃沈された。
タイタニック号の犠牲者を上回り2000人を超える世界史上最大の犠牲者を出した海難事故、世に言う「阿波丸事件」である。乗船者のうち生き残ったのは、日本郵船一等厨房員であったKS氏一人と言われ、彦次郎も命を落とした。
そもそも阿波丸は南方のアメリカ人捕虜及び市民らに救援物資を運搬するため、連合軍からの依頼により安全を保障された上、人道的見地から運行されたものであった。しかし、結局米軍からの補償はなく、代わりに遺族には国から殉難者一人7万円の補償があった(阿波丸事件の見舞金に関する法律)
1964年
阿波丸遺族会 結成
1977年4月1日
嘉一ら 阿波丸事件 殉難者遺族一同は港区芝の増上寺に多方面の協力を得て 阿波丸慰霊碑 を建立。
1979年
阿波丸が中国により台湾海峡から引き揚げられ、遺骨は増上寺で遺族ら約800名が参加して納骨法要、遺留品約1600点も増上寺に届くが残念ながら嘉一らは彦次郎の遺品を見つけることは出来なかった
